きんたろうの家 すい臓ガンのブログ

すい臓がん余命1年宣告から2年経過。もう末期!

おじいちゃん 逝く

12月2日、0時45分頃、病院から電話が鳴り、「亡くなった」と。

看護師が気づいたときにはもう亡くなっていたと言うことでした。

 

大急ぎで着替えて、1時には病院に着いたと思います。

 

たろ夫の第一声は「もう死んでる!」でした。

看取れなかった悔しさがにじんでいました。

 

ほんの数時間前まで、血圧は80台あって、状態が安定しているのを見届けて帰ってきたのに、まさかこんな展開になろうとは思いませんでした。

看取ることはかないませんでした。

 

『「危篤」とは言われてないだあ????ばかか!!』と吠えた私が一番大馬鹿者です・・・。世間ではそれを『危篤』と言うんだ!と言われそうで耳が痛いです・・・。

 

でも、この3ヶ月ぐらいは、毎日、見舞いに行き、おじいちゃんとの時間を一番長く過ごしてきたのも私です。看取れなかったのは残念ですが、精一杯頑張りました。

 

9月頃は、「わしもこんな風にしているけど楽じゃないんだよ。」と、寝たきりも大変だと訴えていたおじいちゃん。

 

つい最近は、「たろ夫に会って話すのが一番の楽しみ」と言っていたおじいちゃん。

 

最後にたろ夫が見舞ったときにはもう声を出すことが出来なくなってしまっていたので、きっとたろ夫は心の中で後悔しているんじゃないかな・・・。

 

でもきっと、どんなに尽くしたとしても、みんなが見守る中亡くなっていたとしても、残された遺族は「こうしてやればよかった」「ああしてあげれば良かった」と、悔やむものだと思います。

 

私とは、亡くなる2日前、たまたま少し調子が良かったとき、呼びかけに反応してくれたのが最後の「会話」になりました。

 

「聞こえる?」と呼びかけると、うん、と頷きました。

「しんどいね?」また、うん、と。

もう目を開ける力はないけれど、耳も、頭もしっかりしていました。

 

「頑張って」という声はかけることが出来ませんでした。口を開けてハアハア、こんな状態が続くのは本当にかわいそうで、早く楽にしてあげたい、と言う気持ちの方が大きかったです。

 

そういう気持ちの中で、この1ヶ月ぐらい、見舞いの帰りには何度も泣きながら帰りました。

 

死に顔を見たとき、口を大きく開けている様を見たときは、苦しかっただろうな、と、涙が出そうになりましたが、ぐっとこらえて、泣きませんでした。

 

たろ夫は席を外して泣いて、しばらくして目を赤くして戻ってきました。

 

それから、遠方にいる次男や、たろ夫の弟、義父の親戚に電話し、明日、家族葬を行うことになりました。

 

さっき買い物に行く途中、今まで毎日通っていた病院の前を通り、もう、この病院に来ることもなくなったのか、と思うと、まだ実感がわかないような、少しほっとしたような、むなしいような気持ちになり、一人で涙を流しました。

 

おじいちゃん、本当に頑張ったね。ありがとう。

 

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