きんたろうの家 すい臓ガンのブログ

すい臓がん余命1年宣告から2年経過。もう末期!

人はどのように死んでいくのか 3

あれ、声がより一層しゃがれているな・・・、と感じた次の日、病院に行くと、義父は酸素マスクをしていました。

 

看護師さんに、どうしたのですか?と尋ねると、昨夜、指先で体温と血圧を測ったとき、体温が測れなかったのだ、と。体温が測れないということは、酸素が不足しているので、酸素を投与している、と。

 

体の下に、電気毛布のようなものも敷いてあり、体温が下がらないようにしている状態でした。

意識ははっきりしていて、ただ、声が出しにくくなっているという状態でした。

 

次の日、たろ夫とお見舞いに来た時には、何をしゃべっているかはわからないけど、義父の目が今までと違い、ぱちーっと開いていて、意識がとてもはっきりしているのが見てわかりました。

 

この、目がぱっちり開いていたという現象は、酸素を人工的に吹き込んだことで、脳が一時的に活性化され、意識がはっきりしたのだと思います。

 

その後、痰がのどに絡んで、少し苦しそうにしはじめ、看護婦さんが(たぶん定期的に)、のどの洗浄と痰の吸引に来てくれていました。

 

さらにその2日後くらいだったと思います、午前10時ごろ、病院から電話があり、『危篤だ』と。たろ夫が電話を受けました。

 大慌てで駆けつけると

(インチキ)主治医が、「ほら、こんな感じですよ。」と、酸素マスクをして電気毛布を敷いて、寝ている義父を私たちに見せました。前日と何も変わりがありませんでした。

 

毎日見舞いに行っていた私にとっては、「??安定していて、今すぐ亡くなりそうにはない感じだけど・・・。」と、大急ぎで来ることもなかったな、と内心思いました。

 

結局、主治医からは新たな情報は全く得られませんでしたが、酸素マスクをつけられてから、見舞いに行ったときに滞在する時間を延ばしていって、だんだんわかったことがいくつかありました。

 

看護師さんに容態を聞くと、「血圧は上が80ある」(これはまだまだ安定した状態であるという意味)、「おしっこは少し出ている」(尿が出なくなったら危ないという意味)「酸素の量を増やした」(体温がさらに下がっているという意味?良くないということはわかる)など、ごく単純な表現ではありますが、基礎的な医学知識がない私にとっては、徐々に意味が分かってきました。

 

結局、抗生物質の投与を中止して1週間あたりから容態が悪化し、さらに1週間後くらいに亡くなりました。

 

すごく簡単に振り返りますと、

食欲がなくなって、がりがりに痩せ、そのうち起き上がることもできなくなった。

胸?肺?は少し痛むようであったが、そのほかは特に痛くてたまらないところはなかった。

最期の1週間は、のどの筋肉の衰えからか、声がしゃがれ、次に体内の酸素濃度が低下し、低体温に。

酸素マスクをつけ、温度調節機能付きのベッドに移動。

声が出なくなった。

痰が絡み始めた。口を開けて苦しそうにし始めた。

密閉性の高い酸素マスクに付け替え、酸素の量も増やした。

亡くなる4、5日前に一度だけ血圧の上が60になったが、その後はずっと80で安定していた。

目はつぶっていたが、起きているときは意識がしっかりあり、最期まで呼びかけに答えていた。

 

 

亡くなる4時間くらい前まで私は病室にいたのですが、「血圧は上が80。」と言われ、特に変わったことはなく、まだ大丈夫そうだと家に帰った矢先、夜中12時少し過ぎに、「亡くなった」と、病院から電話がありました。

 

死に顔は、口をぱかーっと大きく開けて、苦しそうにしており、かわいそうでした。

 

この(インチキ)病院に対する不満はいろいろあるものの、今回こうして義父の死を振り返った理由は、そこではなく、義父には、生死を分けるターニングポイント、あるいは自分で死に時を決める機会が、実にたくさんあった、しかし、結果的に苦しい思いをしながら長生きさせてしまった、ということなのです。

 

それを思い返すとき、「在宅看護」などの本を読んでも、どうしても違和感を感じて読み進めることができず、患者本人が望まない延命措置をさせてしまったこと、でも「最善」と思える解決策があったのだろうか、などと、考えてしまっているのです。

 

次回は、『人はどのように死んでいくのか』、義父に関して、死に時を決める機会とはいつだったのか、どうするのか、について書こうと思います。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。 

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