介護している妻としては、もう、自分の思い通りになんて全然なっていなくて、無力感に襲われることもしばしば。
そもそも、「副作用のない抗がん剤P-THP」の存在をたまたま偶然いち早く知ったわたしは、たろ夫にそれを受けてほしかった。
このブログを書いていたおかげで、日本で唯一扱っている病院についての情報も得ることができて、少なくともその病院の門をたたくことは、やろうと思えばできた。
でも、たろ夫がそれを望まなかった。
トモセラピー治療と、抗がん剤+ハイパーサーミアという治療の選択肢を見つけた時も、急いでそれを選択してほしかった。
でも、たろ夫は主治医に義理立てして、3か月、それを遅らせたため、その治療も出来なくなってしまった。
免疫療法も、何種類か提示はしてみた。だめだった。
妻としては、たろ夫に細く長く、出来ればわたしに心配をかけず穏やかに生きてほしい。
でも、本人は、‟食べられる間は好きなものを食べ、動ける間は思いっきり旅行して遊ぼう”という気持ちと、「長生きしたい、死にたくない」と言う、2つの気持ちの中で、結局刹那的な不摂生な生き方をしている。
CCレモン(←実名出してごめんなさい。CCレモンさん。)をやめた時期もありましたが、今はまたガブガブ飲み始め、おはぎもたっぷり食べ、豚カツも買ってくる。(ギトギトの肩ロースを買ってくるので、せめてパン粉をつけてオーブンで焼きます)
片道250キロはあるところに、友人2人を乗せて一人で運転して旅行に行く。(今回の旅行のことです。)
「無茶なことはしないで」と言っても、「これが俺の生き方だ!」と突っぱねるのです。
そして、旅行に発つ直前に、「今まで言わなかったけど、背中も痛いんだ!胸も苦しいし!心配するから言わなかったけど!」と、‟俺はもう長くないんだから好きにさせてくれ” と言わんばかりのことを言い放ち、出かけて行ってしまいました。
背中が痛いと言っても、のたうち回るほどではないから何も言わなかったのでしょう。
すい臓がん発覚前は、背中の痛みは『七転八倒』だったと言っていました。
今背中が痛いのなら病院にかかって痛み止めをもらったらいいのに、と思うのですが、4月20日の予約の時まで我慢するつもりです。痛みは1か月くらい前から、だそうです。
「副作用で下痢・嘔吐、危うく死にかけた事件」をご存知の方なら理解してくださると思いますが、なぜだか知らないけど死ぬほど病院に行きたがらない人なので、傍にいても、どうしようもできないのです。
こんな感じで、たろ夫が急変して亡くなったら、どうしようかと言ったって、どうしようもないんです。
どんなにあがいても、人はいつか必ず死ぬ。その時が来たら、わたしは泣く。というか、今でも泣いている。
交通事故なんかで、夫婦同時に死ねたら楽なのに、と思ったりします。
わたしに出来ることは、精一杯やっているつもり。それでもその時が来たら、仕方がない。「後悔」はしないと思う。最後まで頑張るから。
でもどんなに精一杯やっても、悲しみは避けられない。その時が来たら、それを乗り越えられるように、またがんばるだけ。
愛する家族を亡くされた方、闘病中の方、手術を経験された方、介護中の方、それぞれの苦しみ、悲しみ、痛みが和らぎますように。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
他の方の経験もとても参考になりますよ。
↓ぜひ行ってみてください。