このP-THPがインチキだとか眉唾だという記事は見たことがない、と、書きましたが、ありました。2月16日付でこの本を批評されていました。
先日書きましたように、私はもうあきらめたのですが、今までこのブログで相当アピールしてきましたので、一応、知らん顔するのは良くないかと思いまして、お知らせした次第です。
がん治療革命?またしても根拠の薄い文藝春秋本について - 大場大のブログ "セカンドオピニオン"
大場大氏というと、近藤誠氏とがん治療のバトルを繰り広げておられる方で、言わずと知れた方ですね。
その方が、「P-THPを受けた200人の患者から経過の良い30名だけを抽出して(選択バイアス)、「奇跡」や「革命」を論じるには到底無理があると最初に申し上げておきます。」と書いておられました。
ど素人の私が反論などするのはおこがましく、同じ土俵に立つつもりは毛頭ございませんが、逆に、大場氏の言っていることは大方正しいと思いました。
特にこの本の患者の体験談の部分は、ドキュメンタリータッチで描かれているので、「虚構ではない」ものの、公正平等な立場で書かれているかというと、そうではない、と思いました。
確かに、200人の患者がこの治療を受けたのなら、大まかにでもこれらすべての人の結果の統計を知りたいと、わたしももやっとしていました。
たとえて言うなら、奥野氏(P-THPを取材したジャーナリスト)は200本の木から30本の木を選んで見繕った。大場氏は200本全部を見せよ、そして200本でも森として判断することは早計だ、と言っているように思いました。
エビデンス、ですね。
これに関しては、専門家の方々も、認可されている抗がん剤さえ「統計のマジック」があることを認めておられるので、エビデンスがすべてではないと思います。(都合が良いように数値を提示できると言うことです。)
いったんはピラルビシンとして認可されていて、それを改良したものなんだから、「抗がん剤」としての有効性はあるとはとらえられないのでしょうか。奇跡的な効果があるかどうかはさておき。ど素人の意見ですが。
また、「研究」と言っている以上、今後この未承認薬を何をゴール (エンドポイント) として、あと何名に投与し続けるのか。客観的なデータはいつ公表されるのか。本に登場する山岡医師は仮名のようですが、現状のままでは倫理的に「人体実験」と言われても文句は言えません。ともありました。
これも、実は私も疑問に思っていたところでした。未承認なのに「自由診療」で出来るものなのかな~と。やっぱり、「研究」名目なんですよね。
“治療”としてやってしまうと、インチキだと言われるカテゴリーに入ってしまうのかなあ、と。そして「臨床試験」という位置づけなら、やはりゴールはあって当然なのかな、と思います。
ただ、研究しておられる前田教授は、安価で信頼できるものを提供したいという動機でおこなっていらっしゃるんだと思うので、そこを、“人体実験”とは手厳しいな~と思います。
認可まで、巨額の投資をしなければならない制度が悪い。ぶつぶつ。
専門的なエッセンスを散りばめながら読書に信頼を与える一方で、僅かな体験談、主観を基に未承認薬の有効性を誇大に結論づけてしまうふるまいは問題視すべきです。要するに、「エセ医学」本の範疇であることを意味します。と言う結論でした。
ああそうですか~。残念。まあ、それほどムキになって反論する気持ちにはなりません。
この、大場氏。文春VS新潮の“代理戦争”の様を呈していますが。
近藤VS大場、の他にも、(胃がんの)予防医療普及協会VS大場、というバトルも勃発しているようです。
とても高度な争いですが、逆に言うと、専門家の間でもいろんな考え方、主義主張があると言えます。人体は、医療は複雑なので、どちらが正しくてどちらが間違っている、と一言では言えないと思いました。
そして、大場氏も、「副作用のない抗がん剤の誕生」という本全体に対して、一定の評価をしておられました。
大場氏の批評、参考になりました。
まとめに入りたいと思いますが。
私は「抗がん剤は悪」だと思っているのではなく、「抗がん剤の副作用は苦」だと思っております。
だから、「藁にもすがる」という言葉は盲目的で好きではなく、理論を知った上で、「副作用がないなら、そちらを選びたい」という観点からの支持です。
(しかし確かにこの本のうたい文句は、過度の期待を起こさせる書き方であったように思います。)
最後にたろ夫は言いました、「何が言いたいのかわからない。」
だ・か・ら!副作用がない抗がん剤だよってば!
そういうことで、P-THPの話は、これで終わりたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
↑他の方々の経験も、とても参考になります。