終末期患者を受け入れてくれた病院に入院してからの数か月は、表面的には穏やかに時間が過ぎていきました。
しかし、観察して気が付いたことは、大学病院に入院して大手術をするかしないかと言っていたころは、まだ体つきががっしりしていて、とても94歳には見えない、とても元気でいらっしゃる、と外科医も話していた義父だったのに、この(インチキ)病院に入院してからすぐ、いきなり痩せていきました。
「食事は、食べていますか?」と看護師さんに聞くと、ほとんど食べてない、と。
食べなければそれは痩せるよね、と心配して、何が食べたいかと本人に聞いたら、おにぎりだとか、ブドウだとか一応リクエストがあったので、それを持って行ってみたこともありました。
しかし、結局は全く手を付けませんでした。
どうして急に食欲がなくなってしまったのか、素人の私にはわかりませんが、とにかく、どんどん、どんどん、痩せていきました。
栄養補助飲料というのでしょうか、スチール缶に入ったチョコレート色の飲み物が毎回ついていて、看護師さんがスプーンで口に含ませてくれて、少し、飲んでいたようです。
そうこうしながら、亡くなる2か月くらい前になり、少し異兆がありました。
発熱した、と連絡があり、駆けつけたことがあります。
意識はありましたから、いつものように、「私が誰かわかる?」と聞いてみたら、「・・・。誰?」と言ったのです。
その時は、『あれっ、いきなり認知症になっちゃった!』とびっくりしたのですが、熱が下がるとともに、また、意識や記憶も正常に回復しました。
この発熱の原因は、(インチキ)主治医が、抗生剤を投与するのをやめてみたらどうなるか、と、ちょっとやめてみたんだそうです。
そうすると、高熱が出てしまい、ああ、やっぱり抗生剤の投与は続けなければなりませんね、という結論になりました。
「ちょっとやめてみる」って、なんじゃい、と言いたくなりますが、主治医曰く、ふつうのお年寄りは、白血球が少ないので、高熱を出すこともできないが、義父の場合は白血球が18000もあるから、熱が出せるというのは元気な証拠だ、と。
当時、たろ夫の白血球は3000あるかないかでしたから、「おお~、おじいちゃん、すごい」と思ったものですが、よく考えると、「ふつうのお年寄り」だったら抗生剤投与を中止した後、「自然に」亡くなっていたのかな、とも思います。
いずれにしても、この時初めて私は、義父が、『抗生剤によって生かされている命』である、ということを認識しました。
それから2か月くらいして、病院から呼び出されました。
今まで半年くらい、抗生物質を最大量投与し続けたが、本来抗生物質というのは、一つの病院に一か月あたり割り当てられる量というものが決まっていて、その中でやりくりしていかなければならない。
ざっくりいうと、たろ夫の父は、半年間も投与を続けたから、もうこれ以上は続けられない。ほかの方に回します。明日から投与を打ち切りますよ。いいですね。(問答無用)
という内容でした。
いきなり明日から?と思いましたが、仕方ありません。
一度、抗生剤投与を中止したときは発熱し、認知症のようになったので、今回もきっと、そのようなことが起こるのだろう、きっと、もう、長くないのだ、とその時覚悟しました。
しかし、意外にも、その後1週間ぐらいは何事も起きなかったので、あれ、まだ長生きしそうだな?するのかな?と思っていた矢先、変化が起き始めました。
声がしゃがれて、より、お年寄りっぽい声になったのです。
あれ~?と思っていると、もうその次の日には、かなり聞き取りにくい声になってしまいました。
これは、まずい。たろ夫に話して、見舞いに来させなくては。最後の会話をさせなくては。と思いました。
たろ夫は、もともとは一週間に2,3回、義父の家まで車を走らせて、安否確認をしたり、買い物を手伝ったりしていたのですが、義父が入院してからというもの、見舞いに来るとどうしても「死」を意識してしまうので、ほとんど見舞いに来ていませんでした。
自分の死を、自分の父親の死と重ね合わせて考えてしまい、つらかったのだと思います。
でも、今はそんなことを言っている場合ではないので、絶対、来たほうがいい、と強く誘って、次の日一緒にお見舞いに行きました。
でも、もう、何か一生懸命話しているのですが、声がかすれていて、聞き取ることは全くできなくなってしまっていました。
ここからが、容態が大きく変わることになりました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
他の方の経験もとても参考になりますよ。
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