半年くらい前、社会に貢献したい精神が旺盛なたろ夫は、自分が死んだら臓器提供をしてくれと言ったことがあります。(緩和ケアなど、末期症状になったときのことは考えたくないたろ夫ですが、死後のことはたまに口にします。)
その時は、遺体を切り刻むなんて嫌だ!という感情が真っ先に立って、「そんなの嫌よ!」と答えた私でしたが、冷静になって考えてみると、抗がん剤でボロボロになってしまっているであろう体のどの臓器を一体提供できるというのだろう?と思えてきました。
多分、できないでしょう。
それよりも、病理解剖が必要ならば、そうしていただく方が医学の発展に貢献できるかもしれないと思いました。
たろ夫は、今広く行われている『ナントカ』という遺伝子治療の(皆さんご存知だと思います。長いアルファベットのアレです)治験には参加できません。
手術も一度も経験していませんし、細胞を取ってガンだとはっきりさせたことがないからです。
ですから、今後、どのように病状が変化していくのかわかりませんが、体が弱って寝たきりになって、誤嚥性肺炎などによって亡くなったとしたら、「本当にガンだったの?」と言うことになってしまいます。
であれば、病理解剖をしていただいた方が、どのようにガンが体を蝕んでいたのか、はっきりさせられるのかもしれないなあと、少し怖いですけれど、本人の遺志を酌むとすれば、そのように貢献できるかなあと思いました。
またお葬式の話をしてしまって恐縮ですけれど、たろ夫の心境も、時の経過とともに変わってきております。
ガンが発覚したころは「自分の葬式のときに連絡するリスト」をせっせと作っておりまして、たくさんの人を呼ぼうとしていました。
でも最近は、「俺は直葬でいい」と言い出し、たろ夫の価値観も大きく変わったなあと感じました。
特にこの団塊の世代の(男性の)特徴なのでしょうか、同年代の男性と自分との給料や立場をものすごく意識して、絶対、自分の方が上に立ってやるという、気迫というより狂気じみたライバル心を燃やし続けて生きてきました。そういうところは私の価値観と大きなずれがあったのですが、最近はやっと、それがなくなってきたように感じます。
今この、体力は徐々に衰えつつも、比較的安定した『抗がん剤生活』を送れていることに、感謝したいと思っています。
1年10か月、一度も手術なし。
ありがたいことです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
↑病理解剖は、無償で行ってもらえます