今日はたまたま、大腸がんでお母さんを亡くされた娘さん(現在40代)とお話しできました。
亡くなったときは50代だったお母さま。大腸がんだと判明して3年半で亡くなられたそうです。
今現在の私の関心事はもはや『どのようにガンが判明し、どのように世話したか』ではなく、『どのように終末期を過ごし、亡くなったか』になりました。
3年間は、手術や抗がん剤、放射線治療などのため、家から1時間半かかる病院に入退院を繰り返したそうです。娘さんも、送り迎えが大変だったけど、お母さまが、ガンに罹る1年2か月前にたまたまがん保険に入っていたから、経済的には助かったとおっしゃっていました。
(たろ夫はがん判明の直前にすべての生命保険を解約したとはもちろん言いませんでした…。もう、言っても仕方ないことですからね…)
うちの場合は、自宅から通える大病院(片道30分くらい)、ということで、選択肢が2か所に狭められていましたが、他の方は片道を車で1時間半かけてでもご本人やご家族の希望する病院を選ばれたりするのだなあ、と、スタートからがん治療に対する意識や認識が違っていたなあ、と思います。
わたしたちは、抗がん剤治療という標準治療なら、どこも同じだ、と思っていました。
しかし、今現在トモセラピーの病院に転院するだのしないだのと揉めていますように、病院によって取り組み方が全然違うことを今になって知りました。
話は戻りまして、最期の半年は、在宅で、近くの開業医に往診に来てもらっていた、と言っていました。娘さんが看病で疲れたら、入院させてくれたり、と、患者や家族の意見や希望を聞いてくれるお医者さんだったからよかった、と。
在宅中は、モルヒネはお医者さんだけが操作出来て、娘さんは家で栄養の点滴をしたり、呼吸器はお母さまご本人がしたり外したり、自由にやっていたそうです。モルヒネを投与しても時々痛がっていた、と言っていました。
一度、夜に点滴の針を扱っているときに、疲れてその作業の途中で寝てしまって、気がついたら血だまりができていた、(!!)と言っていました。娘さんも、本当に疲れが限界だったんだろうな、と思いました。
娘さん曰く、亡くなる前日まで電話で話も出来ていて、まだあと2年くらい生きるんじゃないかと思っていたら、次の日ぽっくり亡くなった、と。
ただ、最後の3か月はほとんど寝たきりで、あまり食べたりも出来なくなっていたから、今考えたら亡くなるべくして亡くなったのだろうけど、当時は冷静に見られていなかった、経験もなかったし、まともに話ができていたから、まだ生きられる、と思った、と。勉強も、してもしてもきりがなかったし、と。
うん、わかるわかる。(涙)
もう、10年くらい前の話なので、こちらの参考のために、気さくに話してくださいましたが、当時30代の娘さんの立場で、唯一の親、母親が亡くなるのも本当につらかっただろうな、と思います。
今回は、本当にたまたまのインタビューでしたが、栄養点滴や、呼吸器は、患者本人の意思に沿った決定をすればよさそうだ、とわかり、それだけでも参考になりました。(話ができる状態であれば、ですが。)
それから、『やはり逝くときはあっという間なようだな。』とは感じました。
こればかりは、どんなに『いつかはその日が来る』と思っていても、そうなってみなければ実感はわかないのでしょう。
いよいよ明日、診察に行ってきます。本当に、どういう結論になるのかわかりませんが、冷静に、話ができるように頑張ります。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
他の方の経験もとても参考になりますよ。
↓ぜひ行ってみてください。