5月30日。たろ夫の元同級生が認知症だと、たろ夫は、言っています。
去年、朝倉と言うところで水害があり、そこにかなりの寄付をしたその元同級生は、朝倉のホテルの無料宿泊券をお礼に2枚もらっているので、それをたろ夫にあげると約束したそうなのです。
奥さんと2人で行って来いよ、と。
それで、たろ夫がそのチケットをもらいに行ったら、その友達は
「そんなことは言っていない。チケットも持っていない。知らん。」
と言ったそうで、たろ夫が帰ってきて、「あいつは認知症だ。」と言うのです。
申し訳ないけど他人事なので、認知症なら認知症でいいのですが、その認知症らしき同級生を誘って、今度韓国のプサンに旅行に行く約束をした、とたろ夫が言うのです。
はあ~~?
国内ならともかく、言葉の通じない韓国に行って、認知症の人が迷子になったらどうするの?待ち合わせの時間とか、泊まっているホテルを忘れちゃったらどうするの?どんなトラブルに巻き込まれるかかわからないのに責任とれないでしょう。
あなたは人を世話できる状態ではないでしょう。何考えてるの。
と言うようなことをきんたろうが言ったら、ジャイアンたろ夫、おかんむり。
とにかくじっとしていられないたろ夫、だれ彼構わず旅行に誘います。
精神が安定していないんですよね。
痺れと言う『身体的苦痛』、社会における自分の存在意義がなくなってしまったような『社会的苦痛』、不安や苛立ちと言った『精神的苦痛』、死が目の前に待ち受けているという『スピリチュアルな苦痛』。
日々、苦痛と闘っているので、たろ夫にも気晴らしがほしいのはわかりますが。
あまりにも行動的なので、今更ながら手を焼いています。
死を前に、泰然自若としていられる方がおかしいのかもしれませんが…。う~ん。
5月31日。恐るべし、エルプラット。
たろ夫が牛車腎気丸(ゴシャジンキガン)を飲み始めたのは、ちょうど抗がん剤(FOLFIRI)をやめた時で、丸ワク先生が処方してくださっていたものでした。その後、手足の痺れがどんどん軽減していって、抗がん剤をやめていた3か月3週間は大変調子がよかったのでした。
もう~牛車腎気丸様様でした。
しかし今回は牛車腎気丸をもってしても、エルプラットの神経の痺れには全く歯が立ちません。丸ワク先生も、「効果が感じられなかったら、服用をやめてください。」とおっしゃっていて、たろ夫は速攻で服用をやめました。
そして今回、体力が回復しなかったので、抗がん剤投与が6月12日に延期になりました。4週間の間隔になりました。
今までこんなにぐったりが続いたのは見たことがありませんし、たろ娘とたろ夫の会話からもお分かりいただけるように、たろ夫の性格が、あの強烈キャラが、かなり弱くなっております。以前は元気だったから、面白かったのです。
今は何だかわたしがたろ夫をいじめてるみたいです。違うっ!これまでの歴史があるんですっ。
とにかく、たろ夫の体力がだんだん、抗がん剤に耐えられなくなってきたということなのかもしれません。
母きんたろうが、「お父さん、病院から帰ってきて、実は頭がクラ~ッとしていた、とか言いよったんよ。」と今頃わたしに報告。ひゃ~。
片目が急に真っ暗になったり、頭がクラ~ッときたり、足が痺れて感覚がなかったり、こんな状態で車の運転を続けるなんて、恐ろしいったらありゃしない。
っていうか、母きんたろうも、そんな父の運転の車に乗り続けるなんて、どうかしている。
今日もたろ夫本人は、「この前のがんセミナーで聞いた話だけど、すい臓がんで9年生きて、死ぬ3日前までマラソンするくらい元気で、それでコトッと亡くなった人がいる。お父さんもそんな風に死ぬと思う。」
などと言って、自分にも死が近づいているなんて本人は微塵も思っていないようです。
たろ夫が旅行に行きたいと年中うるさいので、(親孝行旅行は一年に一回でいいと思っているんですけどね…)6月末に近くの県に一泊旅行に行くことにしました。
たろ夫はさっそく有田焼だの伊万里焼だの何かいろいろ要求し始めました。
なにか介護が必要になればそれはお手伝いしますけれども、遊ぶのにそんなにいつも付き合ってられません。
一人で旅行には行かせられないし…
なにかいい方法はないかなあ…
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