きんたろうの家 すい臓がんのブログ

すい臓がん、2年11か月目。ラストスパートに入った。

ラストステージ5か月目(4)ムカつく…がん患者家族あるある

8月12日日曜日。岡山から次男家族が車で来ました。4年生になった孫息子君と、4歳半の孫娘こっちゃん。こっちゃん、相変わらず元気!語彙も増えて、パワーアップしている!

 

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次男家族と19時過ぎにレストランで、やっと席に着くことができ、全員で9人いるため、2つのテーブルに分かれて座りました。

 

すると、すぐ、長男(たろ娘の兄)が、「気分が悪い」と外に。その後も体調は良くならず、結局たろ娘が長男を実家まで車で送っていくことに。

 

顔色が悪く、本人曰く、「さっきは救急車呼ぼうかと思うくらいきつかった」と言いながら、なんとか家までたどり着き、わたしはまだ食べ終わっていなかった夕食を食べにまたレストランに。

 

長男にとっては『次男家族が来る』という、非日常のイベントがあったから、夜中の2時半からずっと眠れなくて、起きていたから体調が悪いと言っていました。

 

長男は、もともと持病があり、眠れないというのは体調が絶不調になってしまう原因になってしまいます。

 

それでも、ここまで具合が悪そうなのは見たことがない、と父たろ夫と母きんたろうが口をそろえて言っていました。なにがあったのでしょうか。

 

わたしがレストランに戻って、また食べ始めたところ、父たろ夫が、

 

「いつも8時に寝ているから。もう8時半になったし、薬も飲まんないかん。先に帰っとくから、あんたたちはゆっくり食べてから帰ってきて。」

 

とのことで、父母、次男(弟)、孫息子(甥)は帰っていきました。

(残りはたろ娘夫婦とこっちゃん、こっちゃんママ)

 

18時半から20時半までの2時間、実は父たろ夫も顔色が悪く、大丈夫かな~と思っていましたら、2時間が限界でした。

 

よく2時間もがんばったと思います。薬嫌いのたろ夫が、「薬も飲まんないかん」という口実を使ったことも、原発すい臓がんが痛むのだろうなということが容易に想像できました。

 

そんなこんなで、なんだか不穏な1日が終わりました。

 

 

こっちゃんは、天真爛漫で、優しい子に育っています。超具合が悪そうな長男を見て、  「今日は早く寝たらいいね!」と、ちゃんと状況を理解できている発言にちょっとびっくり。

 

しかし、そうかと思えば、何度もスカートをまくりあげてパンツを見せるので「やめなさい!」。こっちゃんママとたろ娘の間に座って、ご機嫌で、興奮していました。

 

ちなみにこっちゃんは、長男のことは「おじちゃん」、たろ娘のことは「おねーさん」と呼びます。(ほんとは立場的にはおばさんです。)いつまでだまされてくれるかな~。可愛い。

 

 

明日はプールに行くってことになっているけど、どうなることやら…。

 

 

8月13日月曜日。父たろ夫の今回の目標であった、『子供たちをプールに連れていく』日になりました。

 

朝から出発し、ウォータースライダーや流れるプールなどで2時間ほど遊ばせて、たろ夫はへとへと。

 

もちろん、たろ夫は日陰でじっとしていただけだし、車の運転もしていないんですが、へろへろ。見かけは普通だけど体力がなくなってくるんですね。

 

お昼は豚カツを食べに行って、(すい臓に良くないけどもう放置)だけどあまり食が進まなかったので、たろ夫の食べきれないロース肉を小4の孫息子がパクパク。

 

午後は、本当はお墓参りに行く予定でしたが、たろ夫の体力も限界に達し、お墓参りは明日朝に持ち越しになりました。

 

 長男も、体調が悪いのと、もともと出かけたがらないので自宅待機、母きんたろうもなんだかんだと疲れるので自宅待機、結局、気力だけは元気なたろ夫が一人、次男家族と一緒に行ったという形でした。

 

わたしたちたろ娘夫婦は、また夕食だけ合流。…の予定だったのですが、お好み焼き屋さんで食べた後、子供たちが花火をするので「付き合ってやってくれ」と次男(たろ娘の弟)がお願いの目配せをしてきたので、たろ娘だけ実家へ。

 

 実は母きんたろうとの冷戦が続いているので実家には極力行きたくなかったのですが、可愛い姪っ子や甥っ子のために、実家に向かいました。

 

しかし案の定、花火のために実家玄関に入ったわたしの顔を見た時の母きんたろうの冷ややかな表情。

 

「何しに来たん。勝手に入ってくるな。」(というまなざし)

 

 

末期がん患者も、家族にひどいことを言って当たり散らすことがありますが、その介護をしている家族もまた、他の家族にえげつないことを言って当たり散らします。

 

みんな、いっぱいいっぱいなのは客観的に考えてわかりますけどね。

 

もともと、モラハラ、パワハラの両親なので、「これだけは言うべきじゃない」っていうことをいよいよ激しく浴びせかけられ、本当にげんなり来てしまっています。

 

たぶん、うちだけじゃなくて、こんな風に雲行きが怪しくなる家族、親族は結構多いんじゃないかな。

 

 

まあ、具体的なことを書くと自分のNK細胞が減ってしまうし、もう、仕方のないことなので、わざわざ書くことはしませんが。ムカつくけど。いつか書いてしまうかもしれない。

 

それでも、父たろ夫が3年近くも長生きできている理由の一つには、たろ娘夫婦が近くに引っ越してきたのもきっとあると思うんです。

  

心では、喜んでくれていたんだと思います。

 

 

8月14日火曜日。気温はまだ34度。南の方に台風が発生しているようで、少しだけ風があります。でもまだまだ暑いです。

 

 

今日は弟家族が岡山に帰る日です。来るときは車で6時間。それも事故などなくて、順調に交通渋滞(?)で、この時間です。帰りはどうなることやら。

 

午前中はたろ夫がS山という、ロープウェイなどがあるところに連れて行ってあげました。その後、レストランの横に併設されているボーリング場に行ったそうですが、たろ夫はボーリングには参加せず、次男と、たろ夫の孫息子だけがプレイしました。

 

ゴールデンウィークの時は、同じ場所でボーリングをし、たろ夫も投げていましたが、今回は、体力がついてきませんでした。

 

 

そもそも普通の末期がん患者さんがボーリングをするのかどうかよくわかりませんが、たろ夫の体調としては、5月の初めに出来ていたことが、8月半ばに出来なくなっている、と言うことで、娘のたろ娘から見ると、やはり顕著に体力が衰えているな、と言う感じがします。

 

食事も、一応ステーキを食べたようですが、(何グラムか聞き忘れました)一番最初に食べ終わり、周りのわたしたちに、「まだ食べてるのか、まだ食べるのか」と、ず~ッと早く帰りたそうにしていました。落ち着きがないのは昔からです。

 

他人のペースなどお構いなしな人間ですので、昔に比べると丸くなったとも言えますし、わたしや次男(弟)が大人になったので、父親に『待て』を覚えさせられるようになった、とも言えます。

 

まあ、もはやそんなことはどうでもよく、次男(弟)と、こそこそと、

 

「たぶん、あと2,3か月と思うけ、子供たちがお父さんに会えるのは最後と思うよ。

最後は結構あっという間みたいだから、看病はこっちでするけ、大丈夫よ。」

 

「いや~、じいちゃん時も、けっこう生きとったやん。その時は、おれも仕事休んで帰ってくるけ。1週間くらいは、休み、取れると思う。どっちみち、今月末、仕事でこっちくるけ、また来るよ。」

 

「あっ、そうなん。」

 

などというドライな会話をしました。

 

胸水(膿胸)で亡くなったおじいちゃんと、すい臓がんで無治療(正確には免疫療法・丸山ワクチン投与中)のお父さんとでは、病気の進行度合いが全然違うのよ~と言うのを言い忘れ、今回はレストランで解散になりました。

 

長男は病気の引きこもり、母きんたろうも大方同じ引きこもりでレストランには来ませんでした。

 

ところで次男君、今度の正月はいつ帰ってくるのか連絡くださ~い!

 

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