9月6日に「息が苦しい」と言って緊急入院(胸水5リットル排液)してからあっという間に20日経ちました。
胸膜癒着術の3回の失敗の直後、トルーソー症候群が再発し、最初の見立てよりもずいぶん長く、たろ夫史上最長の入院生活となりました。
そしてとうとう、今日は緩和ケア外来受診の日。
どんな話になるのかなあと少しの不安を抱きながら、父たろ夫と、母きんたろうと、わたし長女たろ娘が病室で、お呼びがかかるのを待っていました。
ボス看護師さんは、実の正体は緩和ケア外来の担当でもあられたようで、この方が手際よく緩和ケア病棟に案内してくださいました。
手際よくと言いましても、たろ夫は脳梗塞を起こしちゃってる上に、血中酸素濃度が低いので酸素ボンベを連れて歩かなければなりません。
なれない杖を突きながら、(きちんと使えていなくて宙に浮いていたけど)、酸素ボンベを引き連れて、よたよたと歩いて、なんだか特殊に隔離されている緩和ケア病棟に行きました。
診察して下さった先生は、その道数十年のベテランで、さまざまな症状に対応する経験や知識をお持ちでした。
今から緩和ケアを受けるという意味合いが全然わかっていないたろ夫に、にこにこしながら、すい臓がんの状態や、肺転移、胸水の状態を、画像を見せながら説明してくださいました。
肺にたくさんがんが散らばっているので、また胸水が出てくることはあるでしょうね、ともおっしゃいました。
がんばったらあと1年くらいは生きられるのではないかと思っているたろ夫は、光線治療と紅豆杉と、丸山ワクチンをやって、延命したいと力説。がん友も延命できている!と。
先生は、光線治療もやっていいし、紅豆杉も、「ひと月いくらですか?」「〇〇円です。」と言う会話のあと、「高額な治療でなければ反対しない」と。そして丸山ワクチンは、でたらめだ、と。データを出せと言っても出さない、と。
たろ夫が飲み続けてきた紅豆杉にはタキソールが含まれています。そのタキソールが西洋イチイからとられていて、今もアブラキサンはそれの半合成だということをご存知であるお医者さんに初めてお会いしました。
その先生曰く、「西洋イチイ」じゃないとだめで、たろ夫が飲んでいる紅豆杉(中国イチイ)は同じ「イチイ科」でも全然違う、とおっしゃいました。
これらは反論したかったですが、やっていいと言われたのだから、今ここで論じる必要はない、と、沈黙しました。
そして先生、とうとうズバーンと。「緩和ケア病棟というのは、主治医とか、肺の担当医とかが話し合ってですね、だいたいあと2か月くらいでまた入院になるだろうという方が、受診できるんですよ。」
とってもとってもショックを受けているたろ夫。たぶん、いっちばん最初に余命宣告を受けた時ぐらいショックだったでしょう。
しかし、わたしは心の中で、(本当は『だいたいあと2か月くらいで亡くなるだろう』、と言うところを柔らかく言ってくださった)と思いました。
結局、今すぐに緩和病棟に入院するということにはなりませんでしたが、とりあえず面接を受けましたので、この緩和ケアの先生だけは、「予約」せずとも、今後はいつでも受診できると説明を受けました。
ボス看護師さんが鋭い方で、母よりしっかりしていると察したのか、わたしたろ娘だけに残ってくれと言い、先生からわたしだけさらにもう少しご指南を受けました。
緩和ケア医:本人はあと1年ぐらい生きられると思っているけれども、あと1,2か月であろうと思う、恐らく、1か月以内に症状が出ると思う。一番重篤なのは肺だ。だからまた、入院という形になる。
今はまだ本人は自覚はないけれど、だんだん、本人自身が分かってくる。自分の命の短さが。だから、家族は言わないでよい。
厳しい状況だというような、言いにくいことは、こちらの方から言うから、家族は逃げ道を作ってやってください。
「分かりました、ありがとうございます、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」と述べて、退室しました。
すごく泣きそうになったけど、両親の前では、努めて自然に振舞いました。
先生の説明により、3回胸膜癒着術が失敗した大きな要因は、肺の中にたくさんの大きめのガン腫瘍があったからであることに気づかされました。凹凸がたくさんあれば、それはくっつきませんね。
帰りの車の中で、緩和ケアの主治医との会話内容を母きんたろうに話すと、母もショックを受けて涙を流しながら、「最後まで(たろ夫に)振り回されて!」と怒っていました。(怒るところ?反応がよく分からない…)
こんなんでたろ夫が在宅ケアになったら、きんたろう家、パニックに陥りそうでございます。
わたしは、これからは両親にもっと優しく接してあげようと(←ちょっと上から目線?)思いました。
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