10月9日。9月29日土曜日に退院して、ちょうど10日経ったところでした。
朝11時に、冷戦状態に入っていた母きんたろうからメールがあり、「〇〇病院に来ています。朝、胆汁を吐いて緊急入院したので取り敢えずの報告デス。」
こうなると、休戦せざるを得ません。
たろ娘メール「わたしも駆けつけてもいいですか?何か必要なものは?」
母きんたろうメール「勿論デス。入院の用意はしてきました。」
デスをなぜいつもカタカナで書くのか知りませんが、とりあえずバタバタと病院に駆けつけたところ、苦しそうに横たわっていました。
昨日、おとといから、膵臓の痛みが激しくて眠れなかったそうです。
今朝7時ごろ、胃液を吐いてしまって、その後痛み止めや吐き気止めを飲みましたが、今度は緑色の少しドロッとした胆汁を吐き、母きんたろうが父たろ夫に、
「病院に行こうか?」
と聞いたら、だまってこくっとうなずいたそうです。
訪問看護師さんに連絡したら、すぐに大学病院に連絡を入れてくれ、病院に着いたらスムーズに入院できました。
たろ夫、そこまで我慢しなくていいと何度も言っているのに…。
先週の木曜日でしたが、母きんたろうが病院にお薬を取りに行ってから、「ワントラム」から、オピオイド(麻薬)「ナルサス」に変わっていました。
でも、ワントラムもナルサスと変わらないくらいの効果がある薬だったので、ナルサスになったからと言って、痛みが和らいだと実感は出来なかったようです。
今日午前中入院して、「アセリオ」という、「カロナール」と同じ成分で、濃度が2.5倍の液体を点滴しました。
15分で100mgの点滴をやり終える前に、「痛みが和らいできた!」と、上半身を起こしました。すごい即効性。
結局、病院に着いた時は6,7割の痛みで、アセリオを点滴したら、6割か、う~ん、5割かというくらいになった、と言っていました。
1割ぐらいしか変わらないのかと思われるかもしれませんが、さっきまで‟焼けるような”痛みがあったので、それがすこし和らぐと、生きた心地がするようになったのです。
「痛かったら、痛い、痛いっち言わんないけんよ!」と、担当看護師さんの前で父たろ夫に言っておきました。
先月、退院する前に緩和ケア医から、「おそらく、1か月以内には(病院に)帰ってくることになるでしょう。」と言われてはいましたが、ほんの2日前、実家で結構元気そうにしているたろ夫を見たのに、今日はもう緊急入院だというので、なんだか気持ちが追い付きません。
今日もベッドの上で、15分の点滴が終わってから2時間半、しゃべったり休んだりして、母とわたしとで見守りました。
病院の昼食は、運ばれてきたけど食べれないというので、母がそれを食べました。わたしは下のコンビニに行って、ゲル状のチューチュー吸うやつのバナナ味とリンゴ味を買い、一口だけ食べて、それを父たろ夫にあげました。その時はたろ夫は食べませんでした。
(わたしも心配で食欲がありませんでした。)
14時半ごろになって、父たろ夫が、「腹が減った」と言い出し、そのバナナ味のゲルを食べはじめました。
病室内にあるトイレには、看護師さんの介助のもと、自分で点滴の柱を持ちながら歩いていって、用を足し、戻ってくることができました。往復でも8メートルもないと思いますが、ハーハー言っていました。(酸素チューブもしています)
今回は痛みと吐き気を取るのが目的の入院です。一応、検査をすると言われました。血圧は上が108でした。低くなってきています。
1週間の入院予定だ、とも主治医から言われたそうです。
正直に言うと、こんなに元気そうなのに、もう、1週間後には緩和しかないの?という、変な気持ちです。血を流しているわけでもなく、激ヤセしているわけでもなく、ちゃんと喋れるので、見かけは結構元気そうなんです。
でももう、在宅で、麻薬「ナルサス」を飲んでも痛みを抑えられなくなった。吐き気も抑えられなくなってしまった。実際吐いてしまった。だから入院になった。
2,3日前に起こったことは忘れちゃってるたろ夫ですが、自分の親戚に関することはしっかり覚えていて、そういうことをたくさん聞かされましたが、そんなことを話しているときはそれほどつらそうではありませんでした。
でも、少しろれつが回っていませんでした。
もう、長くはないんでしょう。頭ではわかっているけど、え?え?って、気持ちがついていきません。
↑左がにほんブログ村、右が人気ブログランキングです!よろしくお願いします!