きんたろうの家 すい臓がんと愉快な家族のブログ

すい臓がん3年間の闘病記と、思いつくままに書きなぐる絵と文。

最後の入院 体を起こしていられなくなった(8日目)

10月16日。今日は母きんたろうとお見舞いに行きました。父たろ夫はぐったりした感じで横になっていましたが、わたしたちの気配に気がついて起き上がりました。

 

病院に着いたのは11時45分でしたが、実は今朝、父から母に電話があって、

「背中が痛いから、バンテリン(塗る鎮痛剤)を持ってきてくれ。」と頼んできたそうです。

 

バンテリンでは効かないでしょう、痛み止めを看護師さんにもらったらいいよ、と母きんたろうは答え、父たろ夫はしぶしぶ「そうする。」と。入院しているんだから素直に頼めばいいのにねぇ。

 

その後、お薬をもらって飲んだら痛みは和らいだようです。

 

現在、痛み止めの中で麻薬と言われるものは「ナルサス」8mg、朝飲みます。今朝はそれだけでは足りず、「ナルラピド」というナルサスと同じような機序ですが息苦しいのも緩和する働きがある麻薬をレスキューとして飲みました。

 

お昼にたろ夫に会った時には「どこも痛くない」と言っていましたが、それはお薬のおかげなので、午後どうなったのか少し心配です。

 

たろ夫が急に、「あさって退院する。」と言い出したので、「え?本当?」と、わたしも母きんたろうも驚き、看護師さんに、「ちょっと本人、脳梗塞もあって本当かどうか疑わしいので、主治医と明日話ができませんか。」

とお願いし、明日の昼過ぎ、説明を聞くことになりました。

 

 

(「8月15日以来、腫瘍マーカー検査をしていないので、していただきたい」と、看護師さん経由で3回もお伝えしましたが、無視されています。)

 

患者本人がまだ奇跡を信じていて、あと数か月生きられるかもしれない、もしかしたらもっと…と思っているところが難しいです。現実を伝えるのはだれに責任があるのでしょうか…。

 

(っていうか、私たちも主治医から何も言われてない。わからないんです。) 

 

今日のお昼はかぼちゃのそぼろあんかけをほんの半口と、母が作ってきた里芋の煮っ転がしを2粒食べました。

 

こんな調子では、家に帰ってもほとんど何も食べられないでしょう。

 

前回9月29日に退院してからというもの、自宅でもほとんど、一口、一口、って感じでしたから、実際は入院して元気を取り戻したのは、痛み止めを増やしたのと、栄養点滴をしたからなんです。

 

 食べられないのは変わっていないのです。

 

これで退院しても…。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って、母と協議し、明日、またお昼頃、父の見舞いに行ったあと、葬儀社に下見に行きましょう、ということになりました。

 

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(自画像:たろ娘作)

 

父が在宅になったら母はつきっきりになってしまいますし、その後父が緩和ケア病棟に入院になったら、多分、私と母が交代で介護する形になると思います。

 

少しろれつは回っていないけど、まだ話は普通にできるたろ夫。

 

でも、先週火曜日に入院してちょうど1週間になりますが、明らかに衰弱し、わたしたちが来ている時間も起きていられなくて横になるようになりました。

 

麻薬のせいで傾眠作用があるのでしょうし、記憶力の著しい低下、また、がんの進行によっても、体力が著しく減退しているのだと思います。

 

酸素チューブの酸素も、2週間前はレベル1~2だったのが、今はレベル4になり、ちょっとチューブを鼻に付け忘れていると、あっという間に体内の酸素濃度が86%などになっています。

 

本人は「体重が増えた」と言っていますが、食事ができてないのに体重が増えたって、それは胸水が増えているんでしょうよ…いえませんが。

 

とりあえず、あさっての退院に向け、車いすの手配が必要ですが、何しろ実家はバリアフル(障害物だらけ)なんですよねぇ。

 

父たろ夫は自分の老後生活設計なんて考えていなかったから、特に家の外が段差だらけの家を建てました。

 

でももう、これから玄関先に車いす用のスロープを作ったとしても、それが完成する頃には緩和ケア病棟に入院していると思いますので、たぶん、間に合わない思います。

 

あ、でも、母きんたろうの時に備えてつくってもいいかな...

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