きんたろうの家 すい臓がんと愉快な家族のブログ

すい臓がん3年間の闘病記と、思いつくままに書きなぐる絵と文。

最後の入院 未明の呼び出し電話(10日目前半)

1018日(木)入院10日目

未明440分、母から電話がかかってきました。「お父さんが背中が痛いって。 痛みが10(MAX)って。コーラとパソコンを持ってきてって電話してきたんよ。」

 

たろ娘「コーラね!(この期に及んでもコーラ!)わかった。今から準備していくから。」

母きんたろう「あわてんでいいよ。」

 

昨日のことがあったので、わたしも心配で2時半ごろからあまり眠れていなかったので、電話にはすぐに応答しましたが、頭がボーッとしていて30分ぐらいかけて準備をし、車で母を迎えに行きました。

 

しかし、実は母の電話から23分後、今度は父たろ夫から直接電話があり、「大変やったら無理せんでいいよ。」とわたしには気遣うことを言ってきました。

 

「痛いなら薬もらったらいいのに。」と言ってみると、

 

「5回も6回ももらったけど効かんのよ。」というので、

 

「ああそう。かわいそうに。わかった。今から行くけ。待っとって。」

 

 

母と2人で朝6時に病院に到着。

しかし実際見てみると、起き上がって元気そう。あれっ?思ったよりずっと元気そうやん。

 

看護師さんが申し訳なさそうに、「昨日は不安が強かったようで、何度もご家族に電話するとおっしゃるので…」と。

 

そうなんです、たろ夫はとても寂しがり屋なのです。精神が不安定になったのでしょう。初めての個室になりましたしね。

 

 

昨日まで酸素生成器は酸素しか発生させていませんでしたが、蒸留水を通して酸素を発生させるように変わっていて、水蒸気も一緒に送り込むようになっていました。

 

亡くなったおじいちゃんの時もこんな感じに酸素供給方法が変わっていったんだったな~と、何とも切なくなりました。

 

看護師さんが、「夜中3時ごろつじつまが合わないことを言っていた。」と、こそっと報告してくださいました。夜中はつらかったのでしょう。わたしも別の病気で入院経験がありますが、なぜだか夜って、痛みや苦しみが増すんですよね。

 

朝になって、たろ夫の体調も落ち着いたところにわたしたちが到着したのでしょう。

 

 

3人で、静かに話をしました。

 

父たろ夫「・・・上(緩和)に行こうか。」

 

たろ娘「・・・うん、お父さん、歩いてトイレに行けんやろ?」

 

たろ夫「うん、行かれんで漏らした。」

 

たろ娘「じゃあ、緩和の方が看護師さんがよく世話してくれるよ。わたしたちも、座敷で寝るスペースがあるし。」

 

たろ夫「じゃあそうしようかね。」

 

 

 

 

 

 

昨日まで、「明日は退院だ!」と無理に張り切っていましたが、嘔吐して一気に体力が減退し、意識も朦朧とし、痛みまで急激に増してきて、とうとう、本人から『緩和』を切り出しました。

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(おとといたろ夫が書いた、退院したら行こうと思い巡らしていた場所。わたしとの約束のアワビもある。)
 

本人もあきらめざるを得ない段階に来てしまったのだなという、切なさも感じました。

 

 

朝7時になり、お薬を持ってこられた看護師さんに、「緩和に行きたい。」と、たろ夫自ら告げました。

 

その後、担当医が来られた時にも、「上に行きたい。」と本人が告げました。

 

わたしはその後、いったん家に帰り、夜21時には病院に泊まり込みに行く、と母に約束しました。

 

それまで母きんたろうが父たろ夫に付き添っていたのですが、16時ごろ、主治医、看護師長、緩和ケアの看護師など4人が来られて、母に泊まり込みを希望する理由などの確認に来られたそうです。

 

家族がいた方が本人が安心する、とか、緩和のため(痛いから背中をさすってくれとか痒いからクリームをすり込んでくれとか)、などの理由を書き、今は有料の1万円の緩和ケア病棟の部屋が空いているのでそこに入れるように調整する、とのことでした。

 

たろ夫は、痛いから眠っていたいから睡眠薬をくださいと主治医にお願いしたようですが、昼間睡眠薬で寝てしまうと夜眠れなくなってしまうから駄目だ、ということで、日中はナルラピド(即効性のある経口麻薬)を何回でも服用して良い、とのことで、夜になったら睡眠薬(安定剤)を処方しましょう、とのことで話が落ち着きました。

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