最近髪を切りました。20センチくらいかな。放っておいたらどんどん伸びてきて、久しぶりに会った友人に、「今までで一番長いね。」と言われたので、「じゃあちょっと切ろうかな。」と思い立ちまして。
わたしが髪を切ろうが切るまいがどうでもよいのですが、実は友人女性に、がんを克服して間もない方がいて、(この方については一切ブログの記事には載せていません。)最近ウィッグをかぶるのをやめて、自毛で過ごすようになったんです。
だけど髪が薄いし短かいので、本人は気にしてベレー帽をかぶるようになっちゃったので、わたし、自分が買うののついでに、彼女に電気こてをプレゼントしました。くるくるカールをつけるやつ。幅は32ミリの太目。
今どきの電気こては、熱くなるのが早いですね!電化製品の進化に驚きました。しかし使い慣れていないわたしはその買ったばかりのこてで、おでこと耳をやけどしました。おっちょこちょい。(涙)
プレゼントした彼女も、喜んではくれたけど、キケンを感じてまだもう少し髪が伸びてから使おうと言っています。彼女もやけどしかけたらしい。
わたしの父たろ夫も抗がん剤治療中は髪が抜けて気にしていた時期もありましたが、70近いオジイサンでしたから、カツラなんて考えたこともありませんでした。
でも、やっぱり女性は違います。
前回の記事でご紹介した佐藤典宏先生の著書ですが、今は抗がん剤の脱毛を防ぐディグニキャップと言う頭皮冷却装置が海外で開発されているのだと書かれていました。
こういうのを日本に導入するときも、ウィッグ業者の利害関係なども影響するのでしょうかねえ。
父ががんを経験しなかったら、彼女に「自分が気にするほど人は気にならないよ!」で済ませていたかもしれないのですが、何だか、がんを患った人、患っている人にやさしくしたくなるようになりました。家族が経験したから気がつくことかもしれません。
1995年に阪神大震災が起こった時、被災者女性が、すべてを失って呆然としつつ「日本が普通通り生活を営めているなんて不思議だ」、と言ったようなコメントをしていたのを覚えています。
東日本大震災の時にも、わたしは日本にいませんでした。
実際に被害に遭われた方にとっては、生死がかかった、すさまじい経験であったに違いないと思いますが、その他の地区に住んでいたわたしにとっては、小さな揺れすら気づかなかったし、特にこれと言った影響はありませんでした。(少額の募金をさせてはいただきました。)
どういう関係があるかと言いますと、がんを克服した彼女の体も心も傷ついているのに、それは目に見えないのです。もっと言うと、父を亡くしたわたしの心もすごく傷ついているけど、そう簡単に分かってはもらえないのです。
安らかな死であったのならまだここまではないのかもしれないのですが、父はかなりハードな亡くなり方であったし、生きていた間も車の運転をやったらだめだと言っても言うこと聞かなかったし、とにかくこちらのメンタルもいっぱいいっぱいでした。本当に、真剣勝負でした。
精一杯サポートしたという気持ちはあるのですが、今現在、満足感よりもむなしさみたいなものを感じます。喪失感、かなあ。
今でも時に思い出して涙してしまいます。だけど「数か月前に親が亡くなった」アラフォーなんて、特別「わ~、それはそれは大変でしたね。」とはなりませんし、特にわたしより若い世代の人は、知っていても全然慰めの言葉もなく、残念に感じるのですが、同時に自分も最近までこんなだったのだろうと反省する日々です。
なるべく思い出さないように、自分の本来の仕事をがんばり始めました。
たろ娘、一応仕事を抱えていまして、よいパフォーマンスをするためには日々精進して努力を続けなければなりません。やりがいは、あります。(パフォーマンスと言っても、手品やサーカスではありません。興味はあるけど!)
今回は、何が言いたいのかわからないと言う意味で「カオス」。ちょっと若者言葉を使ってみました。分かる人だけわかってくれればいいです。すべての人に分かってもらおうなんて、無理だもん。
父の最期のところの記述、読んで号泣したとコメントくださった方、わたしの家族のために泣いてくれて、本当にありがとうございました。
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