前回の「たろ娘の黒歴史」は、自分にとってとても良いふりかえりでした。「そうだ、最後の会話はあんなことを言ってくれたんだった!」と、うれしいことを思い出せたからです。
正直…本当に me first な人だったわ、とも思っているけれど、最後の最後はわたしのねばり勝ちでした。
しかしその後、たろ夫は文字通り “死ぬほど” 苦しみました。
ブログのアクセスで一番多いのは、一番最初の「いきさつ」と、一番最後の「最期の瞬間」なんですけど、鎮静剤を打って4,5日してから父は亡くなりましたので、息を引き取るときには強制的に静かに息を引き取ったのです。
鎮静剤を打つ前、めちゃくちゃ苦しんで「死なせて!」と叫ぶその中で、たろ夫はヒーヒーゼーゼー言いながらも、「A先生に、お礼しとって!」と言いました。
「お菓子?」と聞き返したら、「違う!お金!5万円!」とめっちゃ苦しみながら言いました。
死に際にも律儀に腫瘍内科医にお礼をしておくようにとことづける所が、「昭和のお父さんだな~」と思いました。
「わかった!」と答えて、そのことを後で母きんたろうに伝えました。
亡くなって2週間くらいでしたか、少し落ち着いた後、母きんたろうと完全なる一致に達した結論は、「そんなもん、せんでいいよね。」
たろ夫の観点からは、『3年間お世話になった先生』。しかし、残念ながらわたしの観点からは『こっちがしつこく減らしてほしいと言わなければ、とことんまでガンガン抗がん剤を投与した先生』。
お任せ患者だったたろ夫にも、責任はあります。これが元凶。
そしてこの先生、「ワセダ クロニクル」のホームぺージで検索してみたら、製薬会社から得ている寄付金が55万円でした。平均の2倍以上ですね。件数も多かったです。
当然、中外製薬もありましたが、「イーライリリー」と言う製薬会社からのが件数も金額も最多でしたので、何を作ってるところか調べてみたら、「ジェムザール」の製造元でした~。…すい臓がん関係者の皆様、おわかりですねぇ。
だから、ってわけじゃないけど、そもそも今の時代、基本的にお金を包む必要はないし、わたしはこの先生にはそうしたいとは全く思えないので、一応母とも協議したうえで、お金は包まないことにしました。
口約束の遺言なんて、こんなもんよ!お父さん、わたしはあなたの遺伝子を受け継いでいるものでね。


つつじが満開の季節になりました